題名と補足項目の検索:
こんな日々があつたー戦争の記録ー紹介
題名執筆者補足時期
直江津空襲黒井の被爆 昭和二十年五月五日
小林勉
p7に略図あり
1
1945-05-05
「直江津空襲」の後遺症でいまも悩む方が判明する
みうらつよし 記録
物資を運搬中に被災
8
1945-05-05
ピンクの人肉ー県下初、直江津空襲の思い出ー
勝島徹
黒煙の上がる方角を歩いての見聞記
9
1945-05-05
直江津空襲と郵便物の検閲について
桐木智子
憲兵の郵便物検閲
12
1945-05-05
厳しかった言論統制報道管制下の新聞のことー昭和二十年五月六日(直江津空襲の翌日)新潟日報第九百十四号
三浦羌
黒井地内の空襲報道
14
1945-05-06
直江津空襲にまつわる思い出
富田テル子
徴用工 伝染病
16
1945-05-05
砂で作った防空壕
米山雅子
高田高女
21
1945-05-05
黒煙ーH子に捧ぐー
猪股浩一
師範学校
23
1945-05-05
米軍投下機雷の恐怖について
高山巌
三ッ橋に2個の機雷
27
1945-07-16
上越市安江で不発機雷の処理作業ー戦後五十年を再来年に控える十一月二十五日に
北山武志
緊迫と恐怖の2時間 p32に見聞図
31
1994-11-25
「直江津空襲標柱建設」の経過と「直江津空襲と平和を考える会」の歩み
北山武志
1979年〜1995年
33
1979
一九四五年八月一日長岡空襲の犠牲者は人口比では世界一
小柴五郎
日本空襲の略歴 アメリカの無差別爆撃
36
1945-08-01
「長岡大空襲」のこと一姉の手記を中心に一
笠原正隆
長岡高女の姉
40
1945-08-01
紙細工のように燃えた学校
大室茂
表町小学校
44
1945-08-01
戦災を語らなかった私
金子登美
表町小学校6年生 姉川
46
1945-08-01
黒い雨に打たれてー原爆被爆者遺言運動の先駆者として
白倉英雄
広島での被爆体験
55
1945-08-06
平和をねがう灯つねにー桜丘高等学校の熱いおもい一
三浦羌
愛知県豊橋市 除幕式と点火式
64
1989-10-15
平和の塔の由来一桜丘高校で燃えつづける「原爆の火」の残り火の由来一
三浦羌
福岡県ハ女市星野村 山本達雄
66
1968-08-06
海行かば水漬く屍ー太平洋戦争における船員の真実
今村時雄
ルオット島 ぼるどう丸
68
1942-01-15
参考資料・戦後五十年一水漬く屍は今一
今村時雄
海洋戦没者数は約四十万名 トラック環礁
72
1974-08
映画「月光の夏」と「野ばら」を見て
匿名子
特攻隊員 五十回忌会場慰霊祭
73
1993-06-05
戦前、戦後を生きて 七つボタンにあこがれて予科練へ
田邨由雄
通信兵
75
1944-06
戦陣
横山貞雄
第十三師団 通信兵
80
1941-10-06
戦後五十年に想う一戦線「白骨街道」「激闘」より
平田端然
復員 インパール作戦
86
1944-07-03
『紅の血が炎る』
太田四郎
横須賀海軍航空技術廠慰安会
88
1945
「蟻の兵隊」 終戦後の山西残留元第一軍特務団実録
「終戦後の山西残留元第一軍特務団実録」より
復員
91
1946-02
澄田四郎著「私のあしあと」の正体
中沢清六
山西残留問題
94
1945-10
インドネシアで見た侵略戦争の実態
須藤友三郎
侵略戦争の実態 従軍慰安婦 民族独立運動
98
1943
人間魚雷回天で死んだ兄のこと
西原若菜
学徒出陣 特攻兵器
102
1945-07-25
親子三人で西原若菜さんの話を聞き、「月光の夏」を見て
大口満、知子、歩
西原講演会
106
1993-06-26
特攻隊の追想
林勇
太刀洗飛行学校
109
1945-06
参考資料・「特攻作戦」 豆知識
林勇
特攻作戦
112
1944-10
靖国の家「コバルト色に白ぬきの戦没者の家の標識」
みうらつよし
インパール作戦
113
1944-04-07
写真見合の写真結婚式
五反田文子
寅年 千人針 釜山 高田 集団疎開寮母
114
1944-08-14
「衣料切符」について
米山雅子
物資動員計画
120
1938
女子挺身隊体験記
俣野ヒサ子
東京都東芝軍需工場 東京大空襲
123
1944-03-22
「先生!やめんなね」
三浦稔
柏崎市枇杷島国民学校
127
1944-10-01
さすらい詩抄「昭和九年に生まれて」
橋本佐内
少国民 戦争責任
132
教育ニ関スル勅語=教育勅語(口語訳)
天皇に忠義
135
1890-10-30
戦時中の用語解説
大東亜戦争 奉安殿 八紘一宇
138
少女たちの手紙ー疎開先・津有村
須藤レツ子
直江津から疎開
141
1945-07-17
私は疎開学童のおねえさん
宝金ヒデ
東京都葛飾区住吉国民学校児童
144
1944-09-01
直江津捕虜収容所の平和友好記念像を建てる会より
岡本銕二
友好こそ平和への道 平和友好記念像建立のねがい 早乙女勝元氏記念講演
150
1995-05-14
最後の晩餐一 「巣鴨」より、元大本営海軍参謀・実松譲 一
直江津捕虜収容所勤務
154
1949-08-19
故郷の土を踏むまでは
丸田道子
台湾台中市
158
1945-08-15
あの日
笠原さい子
幸徳秋水 五・一五事件
163
1943-04
人間の殺し合いは万物の破壊です 銃後もまた戦場でした・・・
西條時子
小さな雪の町の物語
166
母なればこそ
嶋岡トシイ
ソ連軍からの逃避行
167
1942-08-12
義勇隊開拓団員の妻の体験記
匿名希望子
渡満 白山丸
179
1943-03-18
ふりむけば一中国引き揚げの記一
武田和子
満蒙開拓青少年義勇軍
184
1945-05
詩 シベリヤの風音 ーシベリヤの凍土に眠る戦友への鎮魂歌
原田豊
シベリア収容所
190
シベリヤ抑留記
青柳健嗣
つらかったこと 民主化運動 帰国
192
1945-08
誰も戦場には送るまい(教師としての戦後を平和のために)
関口サトノ
凍土に眠る 引き揚げ 教え子を戦場に送らない
196
1945-08
末路 満蒙開拓青少年義勇軍
川島勝二
佳木斬(ちゃむす) シベリア抑留
202
1942-03-15
満州の「開拓」と「開拓団」
満蒙開拓青少年義勇軍 義勇軍送出順位一覧表 新潟県4位
211
1945-05-01
映画「蒼い記憶」を見て
笠原さい子
アニメ
213
1994-08-27
治安維持法は宗教者にもほしいかぎりの暴虐を 雪国にまかれた種 50年前の高田教会の知られざる事件
マリオT・カンドウチ神父
日独教会 サウエルボールン神父
215
1944-04-09
受難の神父様
渡辺和雄
サウエルボルン神父 高田教会
220
1944-04-09
覚え書
金沢美保子
新潟刑務所
225
1944-04-09
戦前の治安維持法による教育弾圧事件の犠牲者 東本町小学校訓導池田和夫先生を偲ぶ
吉田勉 記録
治安維持法違反容疑の検挙
234
1941-11-25
書簡「五十年」
星野力
1933年大検挙 プロレタリア作家同盟
244
1933-05-17
参考資料・治安維持法に死刑を一世界まれなる弾圧法として
戦前の「治安維持法」による弾圧 検挙者数一覧
248
「狂気の遺産」「国体護持」 松代地下壕を平和の砦に
和田登編著『図録松代大本営』より
250
1939
函館のタコ部屋から逃げのびて
語り手崔本小岩 聞き手和田勉
北朝鮮人 花巻 静岡 松代
251
1939
朝鮮人の強制労働
『松代大本営工事回顧』(『軍事史学』23巻第2号)
256
1939
「レッドパージに鍛えられ」
柳川月
職場を追われる
261
1950
名立機雷爆発事件で六十三名が死亡ー太平洋戦争の悲惨な傷あと一
三浦羌
当時の児童生徒数と殉難者数
273
1949-03-30
「戦争と平和」の歴史年表一上越地域県版一
江平稔 作成
全国1889年から1995年 上越地域1908年から1995年
280
新潟県市町村別戦役別戦没者数覧表
1970年12月末現在 戦役別 旧自治体別
286
「上越よい映画を観る会」の歩み
北山武志 作成
1976年から1994年
287
私の戦争児童文学
杉みき子
『さようならを言わないで』
289
あとがき・これからのこと「平和憲法」の輝ける陽光をもとめて
北山武志
二度と戦争をくり返さないために
292
あとがき
三浦羌
平和のともしび
293
1995-05-03